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ノモシュカール、アカデミー

 

 

はじめまして!
木内陽翔(きのうちはるか)といいます!

前回の記事で山崎大地にLINEをしたやつです。

これの

 

となり。
ぼくです。

 

 

高校サッカーは僕も苦い思い出です。朝から誰もいない校庭でボールを蹴り、走り込みや体幹も人一倍やり、自分では頑張っているつもりでした。それでもちょっとチャンスがあると萎縮し、箸にも棒にもかからぬままトップチームはおろか、下のチームで喘いでいるうちに終わってしまいました。

自転車での帰り道、急に涙が出てきたり、たまらなく叫びたくなったり。初めは吐きそうなくらい悔しかったのに、そんな日々が続くうちに次第に薄れ、その悔しさに慣れてしまいました。サッカーが、何より弱い自分が嫌で、なんとも情けない三年間でした。

 

自分ができることはそう大したことじゃないのかもしれない。
せめて将来できる(はずの)自分の子どもくらい、目の前の人くらい、何か手を差し伸べられるやつになろうと思い、大学は教員養成の学部に進みました。

サッカーを続けることも考えたのですが、結局、小学生向けの企画運営団体に所属しました。1泊2日のキャンプや農業体験などの活動を企画して大学の近くに住む子どもたちに提供するという活動です。

限られた予算・時間の中で子どもたちをどのように楽しませるか考えることが純粋に楽しくて、1年で辞めるつもりが3年間やり、代表もやらせてもらいました。

学費は自分で払う約束だったので活動の合間にバイトも色々やりました。大学までの20キロ、今日は何をしようかとワクワクしながら自転車を漕いでいました。

痛い。

そんな基本的にはどこにでもいる、普通の(どちらかといえば)いいやつです。

『桐島〜』でいうならバレー部の風助、スラダンでいうなら池上、キャプ翼でいうなら森崎くんくらいの感じです。ディフェンスに定評がありがちです。

 

大学3年からインターンシップを始めました。
アプリの開発拠点を新たにバングラデシュに作るというタイミングで、休学をして一年間行ってみないかと打診されました。

中学時代から英語アレルギー、英語コンプレックス。
当時、どうにかただで英語使わざるおえない環境に行けないかと思っていた僕にこんなおいしい話はなく、二つ返事で行かせていただくことになりました。

インターンでは主にエンジニアさんのタスク管理と、サービスのプロトタイプ作成を行なっていました。デザイナーさんの手前で、サービスの概要からペーパープロトタイプに落とし、画面遷移を作る作業です。

仕事の面でも語学の面でもバングラデシュのメンバーに助けてもらいながら、ちょっとずつできることが増え、考えることが増えていきました。

顔も色も濃い。

インドの隣、日本と色違いの国旗を持つバングラデシュ。イスラム教の国で豚肉と酒が飲めなかったり、3品出てきたおかずが全部カレーだったり、礼拝があったり断食があったり。

イスラム教の犠牲祭での牛の解体、路上で捌かれる鶏、羊を見ると、僕らが口にしているものは間違いなくその前まで生きていたんだということを強く感じさせられました。

人口密度が世界一とも言われるダッカはどこもかしこも人、人、人。ぐっちゃぐちゃなカオスの世界ではあるけど、よくよく観察するとそこにはみんなが共有するなんとなくのルールがありました。

買い物に出るたびに金額交渉をする生活の中で、お礼としてのお金なのだとしたら適正な値段というのはなんなのかと考えさせられました。

決まり切ってると思ってたことが実はもっと曖昧なものだったというか、何か勘違いしてたなぁと思わされました。

 

日本人の方がテロでなくなるというショッキングな事件もありました。

バングラデシュ人は親日の人が多いです。ODA最大の拠出国が日本ということをみんなが知っていて、往く先々で日本のODAによって建った橋の話をみんながするのです。

日本製品の神話も未だ根強く、街中は古い日本車で溢れかえっています。テロの直後、会う人会う人に今回のテロに対しての悔やみや謝罪の言葉をもらったものでした。

 

そんな一年間でも印象的だったのはエクマットラというNPO法人を訪ねた際に話をした高校生の男の子の一言でした。

日本人は(団体の代表の)大樹が何をしているかを見てるだけでおれたちのことは見てない。

エクマットラはストリートチルドレンの保護・支援を行なっている団体で、路上調査や青空教室、ホームでの保護だけでなく、子供達の母親の就労支援まで行っています。設立者の渡辺大樹さんが高校の先輩で高校時代に講演を聞いたことがあり、その縁でホームを見学をさせていただきました。

小学生から高校生まで男女40人が共同生活をしているホームで、親しげに話してくれた高校生の何気ない、でも核心をついた一言にハッとして

「このままただ見学して帰ってなるものか、僕にこの人たちと何かできることがあるんじゃないか。」と思いました。バングラデシュでビジネスを立ち上げる。そこで出た売上が彼らの活動資金となる。そしてその事業が子供達の就職先になりそこでまた後輩たちを養う資金になっていく。そんなサイクルを作れたらこんなに気持ちよく働けることはない。

そんなことを考えてアカデミーにやってきました。

 

 

DMM.Bangladesh、やりたいです。

先日、バングラデシュに行ってしまおうと、アカデミーをDMMの社内から海外に振り切りビジネスを立ち上げるプログラムを作れないかと提案して玉砕。また頑張りたいと思います。

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