Mabuhay!DMM ACADEMY

初めまして、2期生の清水二夢(ジム)です。

名前の由来ですがフィリピンと日本でそれぞれの夢を持って二ヵ国の架け橋になれる存在となってほしいと父親から授かりました。

 


生い立ち



※当時フィリピンにて4歳

フィリピンのマニラに生まれて、お母さんとお兄さんと一緒にすくすく育ちました。

父親とは小さい頃に一緒に遊んでいた写真やビデオテープはありましたが物心ついてから一緒に居た記憶はありませんでした。

 

小学3年生の頃、日本から突然と父親が現れたきっかけで小学4年へ上がると同時にフィリピンから日本へ移住すると伝えられました。

家族が全員一緒になるなら喜んで日本へ行きました。

 


日本へ移住



※当時10歳、お台場海浜公園にて

突然の移住でなにも準備がないまま日本へ来た私は、日本語も話せず、箸の握り方もわかりませんでした。

 

公立小学校へ入学すると、あまりにも授業についていかない為か学校が特別に「日本語クラブ」を設立してくれました。

日本語が話せない僕と兄貴の為に日本の文化、書き方、読み方を外部の先生を招いて端っこの教室で日本語の勉強をしていました。

 


日本での生活



※当時10歳、特別に日本語を勉強中

教室では外国人扱いで、居るのがとても辛かったです。

肌が黒い、彫りが深いというだけで同級生の輪に入ることができませんでした。

 

先生にまで「外人」「宇宙人」と呼ばれることもありました。

学校に居る時間がすごく嫌で憂鬱と感じていました。

 


※当時日本のバスケチームにて10歳

ある日、兄貴の影響でミニバスケットクラブに入る事となりました。

私はこれがきっかけでスポーツを通して周りの方々と仲良くなれました。

学校でも自然と同級生の輪に入ることもできる様になり、中学に上がるとみんなと同様、反抗期が自分にも到来しました。

 


反抗期


 

 父親とはまともに会話をすることができませんでした。いつも不機嫌で目を合わせるだけで、喧嘩をする日々がこの時期には増えました。その影響かわかりませんが中学校では先生達が頭を抱える程の問題児でした。家の電話が鳴る度に学校からの連絡ではないかと思い、すぐ部屋へ逃げ込みました。

 

父親の機嫌はお金があるかないかで変化していました。機嫌が悪い時の父親の口癖は

 

「誰のお陰でお前ら飯食べてると思ってる」

「お前は俺の子じゃない」

「ここは俺の家だ。出てけ。」

 

でした。

 

母親は私と父親が喧嘩をし、私が家から追い出されそうになる度に懸命に止めてくれています。

日本には親戚が居なかったので出ていくという選択は自分1人で生活をしていくこととなります。

母親もとてつもない苦労からやっと一つになった家族がまたバラバラになる事を心配していたので

 

私は何とか家に居ようと思っていました。

 


無事高校へ進学



※当時高校の文化祭にて

 高校は自分の得意とする英語に特化した公立学校へ進学しました。

入学と同時に父親から

 

「お金を稼げる歳になったんだから家に金を入れるか家を出るか決めろ」

 

と言われ、アルバイトをすることを強制させられました。

入学式と同時に通帳を作り父親がすべて管理をしていました。

 

「家にお金を入れるのはお前が大学へ行く資金の為、今から貯金をするお金でもある」

 

と言われ、私には高校へ通学する交通費と携帯のみ貰えて、食事はアルバイト先のまかないで生活をする日々でした。

 

父親はお金にすごく厳しく、給料が少ない時期は殴られる時期もあり、青あざを残したまま学校へ通ってたこともありました。

 

高校二年生の冬に私の進路について学校の三者面談で父親は担任の先生にこんなことを伝えていました。

 

「大学なんて行かせてやる。お金は私が何とかする。こいつが大学に行けるレベルになってるなら」

 

その言葉の根拠が欲しかった私は父親に黙って、大学へ行く資金が貯金されているであろう自分の銀行の口座を見ることにしました。

 

そこには残高107円しかありませんでした。私にとって忘れられない数字であり、今でもはっきりと覚えてます。

 

この事が原因で大ゲンカとなり、

私はこれがきっかけでお家を出ることを決めました。

 


早めの旅立ち



※当時小学校2年生の妹からクリスマスカード

友達のお家、母親のお友達のお家に泊まらせて頂いたり、友達からテントを借りて公園で寝たり、アルバイトの収入が入ると高校近くの月4万円するシェアハウスを借りて、薄い板壁で仕切られてた4畳の部屋で生活していました。

高校へは引き続き通っていました。

大学に行く夢を捨てきれず、自分で働いて稼いで大学進学することを決めました。

 

大学受験を乗り越えて無事合格をすることができたのですが、

生活費も掛かって居た為やはり学費を貯めることができませんでした。

 

あらゆる奨学金を申し込むが条件に合わず受けることができませんでした。

唯一残ったのが新聞奨学生でしたが、

4年間も労働に耐えうる根性がなかった私はここで大学進学を諦めることとなりました。

 

周りの同級生達は進学が決まっていた中、自分だけ決まらずにいました。

お金の心配もいらない同級生達を見て羨ましく思いました。

ここで芽生え始めた気持ちがありました。

 

「お前らには絶対に負けたくない。」

 

大学入ってもすぐやめる人も居るだろう、何も学ばず遊んで4年間卒業する人たちもいるだろうと思いました。

なら自分はそんな大学生を見返すべく、今から4年間働いて同世代が卒業する頃には立派な社会人になりたいと思いました。

 

 

学歴ではなく実力で勝負することを決めました。

 

 

現在私は21歳、同世代が卒業するまで残り1年半。

まだ何も成し遂げてはいませんし、未熟な部分はたくさんあると思います。

 

本当の自分がやりたいことを見つけることは出来ていませんが、今あるものを全力で試行錯誤をしながら考えて突っ込んでいきたいと思っています。

 


最後に


 

知人に自分の半生を話すと

「父親を憎いと思うことない?」と聞かれることがあります。

 

昔はたくさん思ってました。

 

なぜ子供の頃に私たちを置いてどこで何をしていたのか、なぜ突然日本に連れて来られたのか、疑問はたくさんありますが私は父親からたくさん学ぶことができました。

 

もし、父親がこの記事を読んでいるならこう伝えたい、

 

あなたのことは憎んではいません。

あなたがいなければ同世代が経験できない事を経験することはなかったはずです。

周りより早く若く逆境に勝つことができました。

あなたから目に見える愛情を受けたことはなかったが、

あなたから授かったこの「 二 夢 」という名前に大きい愛情が秘めてあると思っています。

 

私はこの名前と共にこれからも貧欲に成長をしていきたいと思います。

 

ということで以上、2期生の清水二夢でした!

 

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2 comments on “Mabuhay!DMM ACADEMY

  1. 素敵な名前です!!応援してます!!

  2. 人は環境のせいにしがちだけど、それを逆境と捉えるのはすごく大変だと思います。

    これからも頑張ってください。応援してます!

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